≪bezevision≫
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「ドライブ・マイ・カー」
Drive My Car
2021年(日本)
村上春樹の短編小説が濱口竜介監督によって映画化されました。
短編なのに、上映3時間と聞いてどういう事だろう?と思いました。
観てなるほどです。
どうなるほどなのかは、未視聴のハルキファンには知らせない方が良さそうなので、そのあたり分かりにくいように我慢して紹介したいと思ったのですが・・・
やはり・・ネタバレしてしまった。
未視聴の方はご注意ください!
≪eiga.com≫
staff & cast
監督/濱口竜介
脚本/濱口竜介・大江崇允
原作/村上春樹「ドライブ・マイ・カー」
「女のいない男たち」所収(文春文庫)
出演/西島秀俊
三浦透子
霧島れいか
岡田将生
コン・ユンス
イ・ユナ
音楽/石橋英子
撮影/四宮秀俊
カンヌ映画祭/脚本賞
毎日映画コンクール/日本映画大賞
ゴールデングローブ映画賞/非英語映画賞
アカデミー賞/国際長編映画賞
「ドライブ・マイ・カー」あらすじ
舞台俳優でもある演出家、家福(西島秀俊)。
妻・音(霧島れいか)が「帰ったら話せる?」とあらたまった表情で告げた日、彼女は帰らぬひととなります。
妻が何を話そうとしていたのか分からないまま、喪失を抱え2年が経ちます。
家福は広島へと車を走らせます。
到着したのは、国際演劇祭の会場。
演出の彼はそこで稽古・本番に入り、数か月滞在します。
そのオーディションには、妻と関係があったと思われる俳優、高槻(岡田将生)がいました。
家福は演劇祭の主催者から、車の移動は専属のドライバーをつかうように告げられます。
自分の車を他人に運転させる事に抵抗を感じる家福ですが、ドライバー・みさき(三浦透子)の運転に試乗し、彼女にまかせる事にします。
みさきも家福と同じように、喪失・後悔を抱えていました。
何度も繰り返されるチェーホフの本読み
長いドライブ
それらを通し、ふたりが再生していく物語です。
≪eiga.com≫
「ドライブ・マイ・カー」の感想・結末レヴュー(ネタバレあり)
広島ロケと聞き、車はマツダ車か?と一瞬思いましたが、原作通りサーブです。ただ、色は黄色ではなく場面に映える赤色です。
サーヴも大事な登場車なのだから、当然そのままなのでした!
「海辺のカフカ」のときマツダ車ばかり出るので、これはマツダの物語、なんて言われたんですね。
広島はコロナで大変でしょうが、映画のロケ地が盛況らしいです。
たしかにこれは、広島のひとが観ると楽しいだろうなあと思いました。
平和公園にあるホールには、私も行ったことがあるので懐かしかったです。
(建て替え前のだけど)
東京での「ゴドーを待ちながら」の舞台。
広島のチェーホフ作「ワーニャ伯父さん」の演出。
これらがとても興味深いものでした。
「ゴドーを待ちながら」は、役者が自分の母語で演じ(つまり、日本語と外国語が交互にやりとりされる)、観客は上部に出る字幕で意味をセリフは音としてとらえます。
それは濱口監督の手法だそうで、
本読みの場合でも感情を入れず読んで「音」で理解していきます。
主人公が広島で演出する事になる「ワーニャ伯父さん」では、日本語・中国語・韓国語等に加えて、韓国手話もある「多言語演劇」です。
最初はとても不思議な感じですが、話せない言語の相手と会話をしている気持ちになる、観てみたくなる舞台です。
(実際に舞台、けいこ、が描かれるところは、原作と大きく異なります)
家福は演出する舞台のテキストをカセットテープに吹き込み、車で聞くのを常としています。
彼は妻が亡くなって以来、彼女が吹き込んだ「ワーニャ伯父さん」のテープを聞き続け、ワーニャ伯父のセリフは家福が語ります。
まるで妻の言葉に対し、答え続けているかのようです。
セリフはたんたんと言われているのに、テキストは家福の状況とシンクロし、彼を打ち付けるように響きます。
理解し合えないのに、「音」が身体に響き、繋げ癒していく
最後は「音」すらいらなくなる
テキストを読む家福、舞台で演じる家福を劇場にいる観客のように観て、
癒しを得ていく彼の心情になります。
その舞台を観て新たな旅に出る、みさきの映像で映画は完成します。
閉鎖的な空間で、喪失を内包していたサーブも解放され、新しい旅に出る、
感動的な物語でした。
でも・・・申し訳ありませんが
チェーホフのテキストだけで充分だったので、後半オリジナルの感動場面を余分に感じてしまいました。
この映画は「ドライブ・マイ・カー」だけでなく、他の村上春樹作品からたくさんエピソードが使われています。
そこ、ハルキファンが観ると、すごく楽しいと思います。
もう空っぽの高槻が五反田くんにしか見えなかったのですが、みなさんどうですか?
舞台に上がれなかった彼。
空っぽの自分を見つめよう、などとしては破滅してしまいます。
シェエラザード・音が物語を紡ぐための空き部屋として、男たちは利用されたように感じます。男たちは空っぽを抱えて生きていくしかないのでは。
(そのあたりは、「ねじまき鳥クロニクル」の妻ともだぶってしまった)
しかしその空っぽの部屋に似た、舞台という空間が「音」で満たされ癒される。
最後は「音」すら超えていく。
最後が手話、ワーニャ・家福に向けられたのが手話だった、という事がとても大きな意味を持っていた。
言葉でも音でもない、何かが見える気がしました。
そして、それが家福に必要なものであったと。
(手話=言語)なのだから、手話を分からない自分が感じた事だから、この解釈は間違っているかもですが)
その舞台をみさきが見届ける。
何層もの入れ子になっているようなおもしろさ。
彼女が再生に向け走り続ける姿が、とても感動的でした。
追加の「言葉」は余分におもえました。
北海道が(ここも有名な場所だそうですが)ちょっと・・・家が多くて上十二滝町に見えなくて。
私の実家だって最寄り駅まで一時間半かかるよ
やはり、けつのあな、みたいなところに見せて欲しい。
家が多いなら多いで、社会から疎外された家族とも言えるけど、
彼女の不幸を追加の「言葉」で語るより、画で見たかったです。
空っぽの男たちをそのままに描いて空っぽのまま終わらせたら、、、「パワー・オブ・ザ・ドッグ」と並んだのではないか??なんて
素人が勝手を申してすみません。
「パワー・オブ・ザ・ドッグ」は「共感」というのを排した恐ろしい映画でした。。。
「ドライブ・マイ・カー」上映映画館をみる
続々と再上映が決まっていますね!
※追記 配信紹介
(2022年4月)(2023年10月)
配信も始まっているので紹介します
■U-NEXT で観る↓現在レンタル(有料)作品ですが、見放題作です。
初めての方は31日のトライアルがあり、本作も無料で視聴できます。
■Amazon Prime Video で観る ↓レンタル(有料作品)で、視聴できます。(2024年)プライム会員見放題作のもようです
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🎵サウンドトラック
Drive My Car Original Soundtrack
こちらが元の歌
ラバー・ソウル
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そうだ!チェーホフ
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