「蜜蜂と遠雷」宇宙に広がる音楽を奏でよ⋆⋆映像不可と言われた恩田陸著作をみごとに映画化した音楽群像劇/あらすじ見どころ紹介

 

「蜜蜂と遠雷」

 日本(2019年)

 

映像化不可能と言われた恩田陸の小説が原作

注目の国際コンクールに集まった
個性も背景も異なるピアニストたちが
課題に臨む姿を描く音楽群像劇の傑作

 

ポスター画像

≪eiga .com≫

 

監督・脚本:石川慶

原作:恩田陸著「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎)
  直木賞受賞作

出演:松岡芙優 松坂桃李 森崎ウィン
 鈴鹿央士 斎藤由貴 アンジェイ・ヒラ

音楽:篠田大介
撮影:ピオトル・ニエミイスキ

 

毎日映画コンクール日本映画大賞・監督賞

 

「蜜蜂と遠雷」あらすじ
 (中盤のネタバレ含みます)


受賞者が有名ピアニストになり、芳ヶ江(よしがえ)国際ピアノコンクールはにわかに世界的な脚光を浴びることになります。

10回目の大会は有望な若手ピアニストが集まり予選が始まりました。

 

かつて天才少女と言われながら、7年前演奏キャンセルをしてステージを降りた英伝亜夜(松岡芙優)。
再起をかけコンクールに挑みます。

 

子ども時代に亜夜と一緒にピアノを習っていた、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)は人気ピアニストになっていました。
師匠仕込みの完璧な演奏を目指します。

 

”ピアノの神”と称された、亡くなった演奏家ユウジ・フォン=ホフマンから推薦された天才肌の風間塵(鈴鹿央士)。
感性のままの演奏で審査員を困らせます。

 

年齢制限ぎりぎりで、最後のチャンスにかける高島明石(松坂桃李)は家族がいるサラリーマンです。

4人は揃って一次審査を通過します。

 

🎹第二次審査 宮沢賢治「春と修羅」

 

生活に根差した音楽を目指す高島は、最後のカデンツア(自由演奏)部分を、わらべ歌のように賢治の詩を歌う、妻子のフレーズをもとに演奏します。

高島の演奏を聞いた亜夜と塵は、頭の中でピアノが鳴りやまず、ピアノを弾ける場所を捜し町に出ます。
二人は月に照らされ、ドビッシーの「月の光」を連弾しました。

 

翌日、亜夜と塵は素晴らしい即興演奏を聴かせ、マサルを圧倒します。

 

🎹本選 協奏曲演奏

 

本選に進んだ、マサルと塵と亜夜。

マサルは作曲もできるピアニストになる戦いを

塵は世界にあふれる音楽を聴き、世界にあふれる音楽を奏でる事を

亜夜は、7年前逃げ出した場所に戻り、弾けなかった協奏曲を演奏する事を

 

それぞれ目指し、最終審査に挑みます。

 

しかし本選はより過酷です。

マサルはオケと合いません。
亜夜は7年前を思い出してリハで弾く事ができなくなり、
またも逃げ出そうとします・・・

 

♬作品解説

「蜜蜂と遠雷」見どころ1


なぜ、映像不可能と言われるのか?

 

それはひとえに天才ピアニストたちの演奏を再現する事の困難さにあるでしょう。

恩田陸の筆致によって、読者のあたまには素晴しい音楽が鳴っています。

それを超える事。

読者の数だけ生まれている人間の想像力を、現実の演奏力で超えるのはさぞかし大変と思われます。

しかし、そこを最高のプレイヤーと技術を集めて挑み、恩田陸の舌も巻かせたというのだから、ぜひ観てみたくなります。

♬♬♬

描かれたコンクールは浜松国際ピアノコンクールがモデルです。
まずピアニスト役の俳優たちは激トレさせられ、演奏はそれぞれ有名ピアニストが弾いています。

亜夜・・・河村尚子 
マサル・・・金子三勇士
塵・・・藤田真央
赤石・・・福間洸太郎

 

役を読み込み、成りきっての演奏というから驚きです。
特に「春と修羅」のカデンッア部分は四者四様、違いが明確でとても個性を楽しめるシーンでした。

その他、「春と修羅」前半の共通部分の作曲は、藤倉大のオリジナルです。
本選のオーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団、指揮は円光寺雅彦氏です。

 

それから、映像は監督のポーランド留学時代のつながりの撮影監督さんです。
雨のしずくや海辺のシーンなど、ピアニストが事象を音楽としてとらえている事を視覚的にあらわす、素晴らしい映像表現です。

 

審査員役のアンジェイ・ヒラさんもポーランドの名優なんですね。

その他の出演者では、ステージマネージャー役の平田満さんが、どこかのホール袖で会ってる感じがして堪りません。

聴きごたえ、見ごたえがたっぷりの作品です。

 

「蜜蜂と遠雷」見どころ2
 (最後までネタバレしているので、
  視聴後読んでいただけると幸いです)


「世界にあふれている音楽」とはなにか?


もちろん世間に流れていて、よく聞く事ができる音楽とは違いそうですね。

 

塵は師から
「世界にあふれる音楽を聴きなさい
 そんな音楽を奏でなさい
 奏でるひとを見つけなさい」

という教えを受けます。

 

塵にとってはきっと、蜜蜂の羽音も音楽です。

亜夜にとってはきっと雨粒の一つ一つも音楽です。

塵と亜夜とマサルにとってはきっと、砂丘についた足跡も遠雷も音楽です。

 

例えば「世界」を「万物が存在する世界(宇宙)」などと捉えても良いのだと思います。

 

師の教えとは、万物が存在する世界にあふれ祝福しているような美しい音楽を聴き、自分も、万物が存在する世界にあふれ祝福しているような美しい音楽を奏でよと・・・

(美しくも祝福してそうでもない音楽も世界にはありそうだけど・・・)

 

塵が叩き出す一音は、独立した一粒のような明確な響きをもって世界を揺らします。

 

その音は、再び逃げ出そうとする亜夜を引き止めます。
(または、塵に刺激され記憶の中にあった「音」が蘇ったとか)

 

その音は

亜夜が母親と「世界にあふれる音楽」に耳を澄ませ、ピアノの音にした頃に聴いた音でした。

音にはっとした亜夜に、雨粒は一つ一つが音符のようになってはじけ、馬が現れます。

亜夜が「世界にあふれる音楽」を聴くと現れる馬は、無表情の下に隠された彼女の荒々しさを表わしているように感じます。
(故中村紘子さん著「ピアニストという蛮族がいる」というタイトルを思い出しますね)

 

舞台そでに戻った亜夜に、塵が「おかえり」と声をかけます。

その瞬間、塵と亜夜とステージへの道が異空間になったように感じました。

亜夜の演奏を聴いて塵が「見つけた」と言った時はこみ上げてくるものがありました。

 

♬♬♬

 

亜夜もマサルも本選でプロコフィエフを弾くのですが、原作と映画では二人の曲が逆だそうです。

亜夜はプロコフィエフを聴くと踊りたくなると言っていたから、逆で良かったのだろうと思いました。

マサルのプロコはこころに沁みました。
亜夜のプロコを聴いたら、身体が動いてのりのりになってしまいました。

 

♬♬♬

 

専門はジャズで管楽器だけど、特にピアノの音に思い入れがあり、そのへん入れ込みまくっております。

タイトル「蜜蜂と遠雷」については、原作を読むともっと分かるそうです。
読むとまた考えが変わるかもしれませんね。
実はまだ読んでいませんで(おいおい)
映像だけ観て、感じた事をまず文にしてみました(汗;)

原作を読むのもとっても楽しみです!

 

「蜜蜂と遠雷」視聴方法 ※2022年4月更新


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