「国宝」やっと観た!…歌舞伎の向こう側とこちら側、とその間/監督の熱を感じたこれが歌舞伎の映画

photo by Tsuyoshi Kozu from Unsplash

※このサイトはアフィリエイトプログラムを利用して広告を紹介しています


≪これは広告です⇓≫


「国宝」

日本(2025年)

李相日監督が吉田修一原作の小説を映画化した、3時間を超えた大作
実写邦画興行収入で1位を記録
血縁が重視される歌舞伎界で、任侠の家庭出身の主人公がのし上がろうとする。対照的に、血筋であるがゆえにプレッシャーを抱える義兄弟との愛憎、取り巻く女たち。命を削って芸を磨き、女形という美の頂上へと昇り詰めた時、彼は何を見るのか・・・


国宝

/Amazon Prime/プライム会員見放題プライム会員には30日の無料お試しがあります

2026年6月 アマゾンプライムで配信始まりました!

Staff & Cast

監督/李相日
脚本/奥寺佐渡子
原作/吉田修一
音楽/原摩利彦
主題歌/原摩利彦feat.井口理「Luminance」
撮影/ソフィアン・エル・ファニ
編集/今井剛
出演
立花喜久雄(花井東一郎→三代目花井半二郎)/吉沢亮
大垣俊介(花井半弥)/横浜流星
二代目花井半二郎→四代目花井白虎/渡辺謙
福田春江(幼馴染)/高畑充希
吾妻千五郎/歌舞伎指導/中村鴈治郎
彰子(千五郎娘)/森七菜
少年・喜久雄/黒川想矢
少年・俊介/越山敬達
小野川万菊/田中泯

思った事
(ネタバレしているかもなのでお気をつけください)

井口理くんが歌う「Luminance」のPVを観たら、歌舞伎のシーンがとても美しくて・・・

歌舞伎ワークに参加し女形について教えてもらったりしてたし、歌舞練場にも何度か行ったのだから。これは観に行かなくては、という気持ちになりまして。で、新年迎えてやっと観に行きました。大画面で3時間、没入感がすごかった。たっぷり歌舞伎の映像世界に漬かった感じです。家に帰ってからふっと振り向くと、そこは薄暗い熟柿みたいな色の舞台裏で、主人公が立っていたりします。いつも自分のそばに映画の世界が広がっている感じなんです。それが数日続きました。

年末の忘年会で会った友人Aに、これから「国宝」を観るから知らない方がいい事は言わないでね、と伝えると(その友人は歌舞伎ファンなので当然観ている)、
彼女は、「ひとつ思った事は」「舞台の場面で、途中から館内の御囃子でなく、映画の挿入曲になったのであれが残念だった。ずっと館内に流れる謡、囃子で踊りを観たかった」と言いました。
その後私はどうだったかというと、あそこは映画の挿入曲、劇伴がよくて、ずっと館内の囃子でない事が良かったなと思いました。
友人はとても歌舞伎が好きなので、劇場で観るように歌舞伎を観たかったのだと思います。
私は歌舞伎ではなく、映画として観ていたので、劇伴で良かったと思ったのだと思います。
ここのあたりとか、感想や好みを分けやすい事の一つなんでしょうね。

なんというかもう、映画なら歌舞伎をこういう映画にしたいんだ!!みたいなエネルギーをものすごく感じました。
(原作は読んでいないのですが、小説のほうも、こう小説にしたいんだ
!!というのがあったのではないでしょうか。何年か黒子で入られたという話ですし)

女形の人生で演じていくならこの演目じゃないかというのを、時間がかかってもタイトルつきで。
歌舞伎ではあり得ないであろう、涙と汗でどろどろになった化粧の顔をドアップで。薄暗い芝居小屋で登場人物に注目せるために生まれたのが「みえ」であるなら、人生をかけた歌舞伎役者の内面を裏返すような表情を、クローズアップで撮らねばならぬが映画でしょうよと。
映画歌舞伎をかなり堪能させていただきました。
主人公は跡目になんか指名されなければもっとすんなり人間国宝までなれたのではないのか?と、展開のためにあんなに苦労させられてからにと。血縁のリスク面もわざわざねえ・・と思ってしまうけど、いや。きっとあの泥臭い回り道が芸には必要だったって事なんでしょうね。

歌舞伎の向こう側とこちら側、とその間

映画ならではで良かったうんぬんと書いておりますが。
人物で一番印象に残ったのは田中泯でした。
彼は舞踊家なので、映画に出始めた彼のせりふまわしは好きではなかったのですが、この度はいかにも歌舞伎役者然としていてとても良かった。歌舞伎の外にいる人間からみてとても歌舞伎役者っぽいと感じさせてくれます。
結局すごいなあと思ったのは、表も裏側もない空っぽかさかさの女形。
(ちなみに友人Bは玉三郎の大ファンで公演があると必ず観に行くようなのだけれど、どんなのかと聞くと、とにかくもう人間でない。そうだ)
挨拶に行った喜久雄と俊介にシュークリームかなんか勧める。その様子がいかにもな感じでとても良かった。
吉沢君と横浜君はもぉのすごく稽古したと思うけど、何十年も鍛えたダンサーの佇まいにはかなわないのだろうか。
映画映画って言ってるけど、結局、舞踊家の姿がそこに入ると、それが映画俳優とは違う独特の歌舞伎役者っぽさであるように感じて、良い良いと言って
るだけなんじゃないだろか、なんて。ちょっと悩む。
でも、最後の喜久雄の姿は、娘が現れようがなんら情には響かない、内側なぞ空っからの人物に成り至った姿に見えたのでした。

 

 


⇓広告です

 


 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください